家事分担で「家族に信頼をもたらすこと」ができるのはどういう人か?

家事分担で「家族に信頼をもたらすこと」ができるのはどういう人か?

家事を分担することが、常に家族からの信頼を蓄積させてくれるとは限りません。
せっかくの家事分担が、ただの仕事の分配に終わってしまう場合と、家族の信頼の蓄積につながる場合がじつはあります。

この記事はその違いをご紹介しながら「『わが家ってなぜ家事をシェアしたいと思っていたんだっけ』の軸」を改めて自分に問いかけてほしいと思って書きました。
そしてどうせ分担をするのなら、家族の信頼の蓄積につながる家事シェアを、歩みはじめてほしいのです。
最初はひとりで歩くことになるかもしれません。ですが、「軸」をしっかりと胸に抱えていればブレずに、自信を持って歩くことができます。
そうすればゆくゆく、その道を夫婦や家族で共に歩む日が来ます。
家事をシェアする、というのはあくまでも手段。
あくまでも目指すのは、心地よい暮らしを営む家族の姿。家事シェアは、その目的地へ向かうための大きな助けになってくれると、ぼくは信じているのです。

「ただの仕事の分配」になってしまう家事分担の原因

家事分担で「家族に信頼をもたらすこと」ができていない人の4つの特徴

① 家事分担の目的地(理由)が曖昧なまま分担しようとしている
② 「公平」であることに囚われてしまっている
③ 「相手」を変えようとやっきになってしまう
④ 家事スキル(パートナーのレベルが低い、自分にこだわりが強いなど)のにこだわってしまう

「家事分担」をパートナーの人間性の問題や、スキルの問題(④)、だと思っているならそれは問題の一部分しか見えていないということだと思います。家事をシェアするとは、自分と家族との関係性の問題が9割。そしてスキルの問題が1割。つまり、関係性ができていないのにスキルばかりに手を付けても効果が薄いし(無駄とまでは言わない)、関係性さえできていればスキルは後でどうにでもなる、ということです。

男女問わず、上記した①〜④を逆にした「問題」に囚われてしまっていると家事分担は「ただの仕事の分配」だけで終わってしまいがちだなと思うのです。
たとえば「家事シェアしたいんですけど、相手も忙しいし、自分の方が得意だし、自分でやっちゃった方が早い気がして(①)」という悩み。これは、家事をシェアすることを「仕事の押しつけ」と思ってしまっているということ。

「わたしの方ががんばってるのに、パートナーは全然家のことをしてくれない(②)」これも、ママからの悩みとして多い代表ですが、最近パパからもちらほら聞くようになりました。つまりフェアじゃない、と悩んでいる。

「パートナーの意識を変えるにはどうしたらいいでしょう?(③)」「もっと気がついて自主的にやるようになってもらいたいんですけど(③)」という悩み。分からず屋のパートナーが変わらないことには家事シェアなんて遠いお空の向こうの話、と思えてしまう。

「パートナーは家事が全然できなくて。何をやってもらっても雑すぎて一切お願いできません(④)いまだにこうした悩みも聞きます。または「パートナーの求めるレベルに達することができなくていつも怒られます(④)」なんかも。これが「スキルにこだわりすぎている」悩みです。

いろんな悩みを聞きますが、大きく分類するとこの4つの悩みに分類されると思います。
そして、こうした思いにずっと囚われてしまいながら家事を分担しようとすると、どうしてもただの仕事の分配になってしまう。

①②③④、すべて大切なのですが今回の家事分担で「家族に信頼をもたらすこと」ができる人になるにはまず①目的地が曖昧なまま分担しようとしているという自分の意識を少し前向きに考え直すことが早くて、簡単で、効果的です。

「家事分担は仕事の押し付け合い」と考えるか。「家族の絆の構築」と考えるか

こんなのはしょせん気持ちの持ちよう、と思うかもしれません。が、誰と話をしてみてもこの気持の持ちようが「うまく家事シェアできてる人」と「全然家事シェアできていない人」を決定的に分けています。

たとえばママだったら「どうしてわたしばっかり辛い思いしなきゃならないの、パパが何もやらないのはズルい」と考えているか、「わたしが楽になることは家族にとっても大事なことだ。わたしがゆとりを持つことは、パパがゆとりを持つのが大事なのとと同じように大切で必要なことだ」と思えているかどうかの違い。自己肯定感と言ってもいいかもしれません。

パパだったら「頼まれたから、やるよ。男もやらなきゃいけないんだろうと思うからやってます」と考えるのか、「家族で早く終わらせた方がみんなにとって有意義な時間が過ごせる。ママがゆとりを持つことは、自分にとってゆとりが大事なのと同じように大事で必要だ」と思えているかの違いです。

家事を5:5で分担していても、この気持ちがない家庭は心の奥底で、ものすごい鬱憤を溜め込んでいたりします。
逆に、9:1のように分担率が偏っていても、この気持ちをお互いが信頼しあえていれば全然だいじょうぶだったりするようです。

ぼくたちはレンガを積んでいるのか、大聖堂をつくっているのか??

この「気の持ちよう」を考えるときに、よくするたとえ話があります。

***

あるところに、Aさん、Bさんというレンガ積みをしている人がいました。
そこにとおりかかった人が、Aさん、Bさんそれぞれに「あなたは何をしているのですか?」と訪ねたのです。

Aさんは「見たらわかるだろ? 俺はいま一生懸命レンガを積んでるんだよ。このレンガを綺麗に積み上げることこそが俺の仕事なんだ」と答えました。

Bさんは「じつは、ぼくはいま大聖堂(お寺)を造っているんだ。この大聖堂ができあがったら、いろんな人がお参りに来て、たくさんの人がハッピーになる。ぼくは、そのためにレンガを積んでるんだよ」と答えました。

AさんよりもBさんのほうが、より遠くの未来に向けてレンガ積みをしていることがわかります。

***

この話は、ビジョンの大切さを伝える時なんかによく語られる有名な話。
ぼくは、これはそのまま家事シェアにつながると思っています。

ひとつひとつの家事は、レンガ積みのような「作業」かもしれません。
だけど、それを積み上げた先には「みんなが笑顔で助け合える家庭」だったり「家族の挑戦を思い切って応援しあえる関係」だったり、それぞれが思い描く「こんな家庭、こんな関係がいいなぁ」を思い描いていたほうがいい。
ここで、この大聖堂を思い描きながら家事シェアをするのか、目の前のノルマをとにかくこなすためにただレンガ積みをやるのか。これこそが半年、1年後に築き上げられる「大聖堂」の姿に違いが生まれる部分なのです。

あなたにとっての「大聖堂」はいったいどんな姿をしていますか?

結婚が地獄だった先輩たちは帰るべき家はあっても、帰るべき〇〇はなかったという恐怖

ぼくがまだ独身だったころ。一緒に仕事をしていたいろんな先輩パパさんにこんなことを言われ続けていました。

「三木くん、結婚は地獄だぞ〜」
「結婚すると一気に自由なんてなくなるから、いまのうちに遊んでおいたほうがいい」
「家に早く帰っても嫁にブツブツなんか言われるだけだから、ちょっと飲んで帰ろうよ」

誰一人。「結婚はいいぞ! 好きな人と家庭を築くって最高だ!」なんて言う人はいませんでした。
ぼくが結婚をするとなったときも。
「おめでとう! でも幸せなのは新婚のうちだけだぞー。そのうち帰っても晩ごはんなんて適当なのになるし、遊びに行ったりもできなくなるからな〜。覚悟しとけ〜」と自虐的に笑っていました。
この先輩たちには、もしかしたら帰るべき「家」はあっても帰るべき「家庭」はないのかもしれない。
結婚して、ともに暮らして、そんなに辛いことってある? と震えました。

それ以来、ぼくにとっての大聖堂は「『ただいま!』って帰りたくなる家庭」です。
それは、ぼくだけじゃなく、妻も、子どもにとっても、ということ。

結婚して10年。
本当にいろんなことがありましたが、わが家はこの大聖堂を築き、維持し、より素敵なものへと拡大し続けています。
家事を助け合う、というのはそのための、大きな力となってくれました。

家事シェアは自分の「家庭」を築いていく手段

思い描く大聖堂は、大きなものや高い理想なんかじゃなくていいのです。
模型のような小さなところから目指して、少しずつ拡大していったっていい。

「つかれない家族」
「頑張らない育児」

みたいに等身大の目標だって素敵です。
目の前のレンガ積みは、ひとりでがんばれてしまうかもしれない。だけど大聖堂は、大きくても等身大でもひとりで造り上げることはできません。
だから、共働き家庭、専業家庭、お子さんがいる家庭、三世代で同居している家庭、どんな家庭であっても家事をシェアする意味はあるのです。

家事をシェアするとは、家事を分担することではなく、「家族の信頼関係を築いていくこと」なのです。

 

 

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