シニア夫婦の家事シェアはどうするべきか?

シニア夫婦の家事シェアはどうするべきか?

普段は子育て家庭に向けて「家事をシェアしましょー!」と言う機会が多いのですが、最近はシニアのご夫婦に向けてもお話する機会が増えてきました。

結婚生活ウン十年という、熟練夫婦の方々が「どうすれば家事シェアできるようになりますか?」と依頼を受けます。
そんなときにいつもお話するのは「家事シェアすることが前提になっていますが、家事シェアする必要ありますか?」ということ。
家事シェアを推進する団体の代表が「家事シェア必要?」と言ってしまうので、大抵はびっくりされます。

家事シェアは夫婦の心地よい関係づくりのための手段

何十年も家事分担なんてすることも考えず、むしろ「しない」ことが当たり前で来た世代の方々。
妻には妻の家事ルールが強固に、独自に育まれ。
夫は夫で「家のことなどに口(手も)出ししないのが、男らしさ」という価値観で夫婦の関係を築いてきている。

だとしたら、いま突然家事シェアなどという「夫婦で”家事”を協力し合おう」というのはなかなか受け入れづらいことかもしれない。
「やってもらったところで、邪魔」
「やったらやったで、役に立てていない」
「いくら言っても、なにもしてくれない」
「家事なんて、男のすることじゃない」
というのでは、なんのために家事をシェアしようとしているのかよく解らなくなってしまう。

シニアに限ることではないけれど、家事シェアはすることが目的なのではなくて、「心地よい夫婦関係を築く」ための手段でしかないのだから。
もしも家事シェアすることで、夫婦間の心地よさが失われてしまうのであれば無理して家事シェアなんてしないほうが、ずっとマシである。

わが家の話になるが、ぼくの祖父は昔ながらの価値観をゴリゴリに突き通して生き切った人だった。
「家事なんて男がするもんじゃない」「男は黙って飯ができるのを待っていればいい」「女性がすべての身の回りの世話をしてくれるのは当たり前」そんな人だった。

だが、完璧主義でもあった祖父は、社会の変化を目の当たりにし、少しだけ価値観が変わっていた時期があった。
足腰が悪くなる数年前。ハンディタイプの掃除機を購入してからは、食事の後、着替えの後、出かけて帰ってきた後など。気が向いた時に掃除機を取り出してはちょこちょこっと掃除機がけをしていたのだ。
「ぼくは、掃除だってちゃんとする。それでおばあちゃん(妻)をちゃんと助けているんだよ」と自慢げにぼくに言っていたのを思い出す。

だけど残念ながら祖母は、その祖父のちょこちょこ掃除が気に入らなかった。
「気が向いたときだけ、ちょこっとやって。自分たちの掃除ができていないんだって暗に責められてるみたいだ」と。

ぼくは、祖母の気持ちがよく分かる。
中途半端にやってドヤ顔するくらいなら、これまで通り黙って座っていればいいのだ。

夫婦で助け合いながら”生きる”

年をとってくると、家事シェアの持つ意味が変わってくる。
それは「家事の大変さを分担する」ということよりも「生きるために手を取り合う行為」に近くなるのではないかと思うのです。

うちの母も、兄弟が自立して家から出てしまってからは「ごはんも作りがいがない」「家も別に汚れない」と言っていた。
子どもがいなくなると、家事は一気に縮小されてしまうのだ。老夫婦ふたりなら、食事だってそんなに何品もつくらなくなる。散らかることだって少なくなる。

だから、家事の負担自体は子育て中に比べたらずいぶんと少なくなるのだろうと思う。(もちろん、家族によって違うとは思うけど)
そうなると、必要になってくるのは「生きるの自立化」だ。

それは、健康に心地よく生きるための術を身につけること、と言ってもいいかもしれない。

ぼくは、自分の父を見ていてつくづく感じる。
「健康」や「生きがい」への感度があまりにも低すぎやしないかと。

母に言われて渋々薄味で了承する。母にケツを叩かれてやっと散歩する。
いつ身体を壊すかわからないし、そうなってから家族に多大な負担を追わせる側になってから後悔したのでは遅すぎるのではないかと。

別に夫婦でいつも一緒にお出かけして、ニコニコ仲良くしている必要まではない。
いまさら母と同じように、家事ができるようになる必要だってない。

それでも、自分の健康な生に対する責任感は、自分でしっかりと持っていて欲しいと思う。
それが「生きるの自立化」だ。

うちの父は料理も掃除も、洗濯も一通りはできるから、それに関しては心配はしていない。
だけどもしそれができないというのなら、最低限の買い物や料理、健康についての知識を持って、自分の身体を自分で管理できることは必要だろう。
妻が病気になったり、先立たれてしまったときに、カップラーメンでゴミ屋敷、では目も当てられない。

一通りの家事ができる父には、「健康であることのありがたさ」をもっと自覚してもらいたいと思う。
そして自分が健康でなくなるということは、母や家族に大きな負担を背負い込ませることになるのだと。子育て中だってそうだけど、自分の健康は自分だけの問題ではないのだ。

最低限の家事スキルを身につけること。
健康に生きるための知識を手に入れること。
これらのスキルは、自分だけじゃなく妻や家族を助けるための武器にだってなるのだということ。

シニア夫婦の家事シェアは、こうした武器を夫に手渡すことも大きな役割を帯びてくるのではないかと思うのです。

無料メルマガ”tadaima通信”の購読はコチラからどうぞ!

家事シェア実現のための
ここだけのメソッドを順次公開!
4 SPECIAL CONTENTS
GET!tadaima通信

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)