家事育児の大変さの本質は「長距離性」にある!

家事育児の大変さの本質は「長距離性」にある!

晩ごはんを何にするかを模索していた時にふと思ったんです。
「これまで積み重ねてきた俺のレンチンの記憶が、今日のレンチンを阻害するぜ(?)」と。

これだけだとイマイチ意味が解りませんが、ようは「家事育児は長距離走なんだぜ!」ってことをシミジミと感じたわけです。
だから孤独にも感じるし、理解されてないって憤ることもある。長距離走ってことは、今日この瞬間の家事育児は全て中間地点だってことです。
これまでの蓄積の記憶と、これから先も延々と続く道のりが、今日の家事育児を辛くすると。
そして、色んなパパ・ママのすれ違いの話しを聞いていると2人の視点が「短距離走」と「長距離走」くらい噛み合っていないと感じるのです。

家事育児の大変さの本質は「長距離性」にある!

僕は家事の中では一番料理が好き。ですが、家事の中で一番追い詰められるのも料理です。食材が豊富だったり、時間や気持ちにゆとりがある時の料理は楽しい。けど、そうでも無い時はとにかく面倒くさい。特に、娘が何を食べるか、を考え出すととたんにハードルが上がる。
色んな物を食べさせたい、という親心と、簡単に適当に済ませたいという人心が戦うわけです。

さぼったり、楽をした記憶は蓄積されていく。

基本的には手作りしたいなぁとは思いますが、全部手作りでとまでは思っていません。お弁当、お惣菜、外食、冷凍食品、なんかもわりと抵抗なく取り入れます。
でも!それでも!やっぱりレンチンに対して抵抗感が高まる時がある。
「今日はレンチンでいいか!」「今日もレンチンか」の間には同じレンチンでも深い深い溝があるのです。
「今日はレンチンでいいか」が「今日もレンチンか」になるまでには(個人差はあるけど)かなりのレンチン蓄積があるのです。

そして「今日もレンチンか」となってしまったら最後、その思いを払拭するには結構長い間レンチンから遠ざかる必要が出てくる。
これはレンチンでもいい、とか悪いとかの問題ではないのです。
作る側の気持ち(添加物とかの不安・罪悪感・サボってる感・お金の問題・子どもがレンチンに慣れすぎてしまうことへの漠然とした不安感など)の問題なのです(ちなみに、レンチンにかぎらず外食なども含む)。

つまりレンチンがダメとかイヤってことじゃなく、これまで積み重ねてきたレンチンの記憶が今日のレンチンを阻害するのです!
この罪悪感に対して「そんなの気にしなくてもいいよ!レンチンでいいよ!」というアドバイスは、言う人を選ぶのでご注意下さい。

マラソンで言えば。42キロをどういったペース配分で走るか、完走できるか不安な人に対して、100m走を走ったことがあるだけの人に「大丈夫だよ!気にしなくても走りきれるよ!俺だって100m走った時はさ…」なんて言われても困るのです。

でも同じマラソンランナー(先輩主婦とかね)の意見なら聞く耳も持つってもんだ。

家事育児体験と日常的な家事育児は競技が違う

1週間や1ヶ月の家事育児体験と1年、10年の家事育児は競技が違うのです。

短距離走と長距離走くらい、全然違う。

これが競技なら、短距離走なら短距離の大変さや難しさがあるが、家事育児に関しては残念ながらただ短いだけ。

丸一日ママ不在の家事育児を体験したパパは、経験していないパパにはわからない大変さを知っているでしょう。
1週間ワンオペを乗り切ったパパにしてみれば、1〜2日のママ不在なんて余裕でしょう。
1年、2年、10年と家事育児を中心で担っているママにしてみれば1週間、1ヶ月家事育児を頑張ったからって全部わかったような、できるような顔しないでよ!と思うのはある意味当然です。

オーナーシップとリーダーシップを履き違えちゃだめ!

「それじゃ、俺には一生家事育児の大変さはわかんないや」と世のイクメンたちを拗ねさせたいわけじゃない。
つまり、この話には妻(家事育児に主体的な人)の琴線がどこにあるのかのPOINTを知るヒントがあると思うのだ。

良かれと思って言った言葉が、なぜか喧嘩の種になる、なんて経験したことあるでしょ?

→【パパ必見!】「簡単なごはん」なんてない3つの理由

また、せっかく土日に料理をしたのにイライラされたり。食器を洗ってもダメ出しされたり。
少しくらい褒めてくれたっていいのに、全然感謝もしてくれないし、褒めてももらえない。

ダメ出しの主な理由はクオリティとタイミングの問題だけど、もう一つ見逃せないのが「気に触る」点。

気に障る!?

家事育児をやった後に「ドヤ!」ってされると気に障るって人は多い。
だって、このレースはマラソンで42km走らなくちゃいけないのに、100mを全力疾走して「ドヤ!」ってしてるランナーになんて言えばいい?つまりそういうことだ。

オーナーシップとは主体性のこと。

42kmを同じように走らなくても、時に伴走してくれて、時にペーサーになってくれて、さらにはたまに走るのを100m分だけでも変わってくれたりして。同じように42kmを走りきるんだって思いで、ともにチャレンジしてくれる。

つまり同じゴールに向かって主体的に関わる姿勢は大切なんです。

リーダーシップとは指導して率いていくこと。

100m走しか知らないのに「こうすれば早くなる!」「俺はこうやって走ってきた」と指導されても困ってしまう。もちろん自分は片付けもしないのに「いつも家がキタナイ」なんてコメントは話にならない(←残念ながら本当に多い。。。)また、俺は42kmを走りきる方法を徹底的に調べた!って指導されたってやっぱり困る。

つまり、家事育児の悩みや愚痴に対して夫(家事育児を主で担っていない方)は「アドバイス」や「体験談」「知識」よりも「共感」が必要だってことです。

これ、男女差って言われるけど、オーナーシップ(共感)とリーダーシップ(アドバイス)の違いなんじゃないかと思ったりもするのです。

まとめ

一昔前の男性には、家庭を率いていく上でリーダーシップが求められていたのかもしれません。
でも、パパの存在は家庭内におけるリーダーじゃなくなり、パートナーとなった現代においては余計なリーダーシップは喧嘩のもとになるだけのように思う。

何よりも、いま走っているレースが長距離走なんだぜって事を理解しないと、同じ目線でコミュニケーションは取れないんだろうなぁ。

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