子どもを「萎縮」させる事にどんな意味が?子育てのアンガーマネジメントについて

2〜3歳くらいの子どもに「なんでボタンくらい留められないの!?バカ!」と喚き散らしてしまう。怒りの感情に流された躾とは?
きょうの家族言
※きょうの家族言は家族に関するひとり言みたいなものです。エントリとは関係ありません(*´ω`*)
昨日娘さんと公園で遊びながら、ふと「今は何よりもこの時間を大切にしないとなぁ」と思いました。仕事にせよ、遊びにせよ、やりたい事ややらなくちゃいけない事は色々とある。
でも、子どもは刻一刻と成長しているし、こうして公園で遊べる期間なんてあっという間に過ぎてしまう。
あと何年かすれば、親じゃなくて友達と遊ぶようになるだろうし、父娘の関係性も今とは少し違うものになっているかもしれない。
本当は本を読んだり、TVを見たりゆっくりとしたい時間でも、時には娘さんとの時間を大事にしてあげたい。
子どもを叱るのか、子どもに怒りをぶつけているのか
色んな所で子どもを叱っているパパ・ママを目にします。
わが家も当然、家の中でも外出中でも娘さんを叱る事なんていくらでもある。
ちょっと前にも、電車の中で2〜3歳くらいの子どもに「なんでボタンくらい留められないの!バカ!」と人目も気にせずに怒鳴り散らしているママを目にしました。
どう考えても2〜3歳くらいの子が自分の思い通りに小さなボタンを留められるはずもなく。全然できないその子は、それでも泣かずに一生懸命ボタンを留めようとしていました。
他にも、「言うこと聞かないならもう知らないよ。もう、お前の好きにしたらいいじゃん」と理由も告げずに感情をぶつけるパパさんの声が聞こえてきたり。
僕は子育ての専門家ではないけど、それでも周りの空気がピリつくような、感情を露わにぶつけるような叱り方では人には伝わらないんじゃないかと感じる。
叱らない育児?
一方で以前TVで石田純一・東尾理子夫妻の叱らない育児の様子を目にしました。
子どもがバイオリンを壊しても、ピアノの練習中に先生を無視して遊びだしても決して「叱らない」。
さすがにそこまで行くと、なんかのコントかと。。。
怒りの感情は人を萎縮させる
怒りの感情をぶつけられ続けると人は「萎縮」する。
萎縮したことによって、自分の思い通りに動くように(少しは)なるかもしれないけれど、それは果たして躾なんだろうか?
叱り方ではないけれど、怒りをひたすらにぶつける、という事で思い浮かぶのは「このハゲー!」でおなじみの豊田真友子議員。
人を罵倒することで、萎縮させ続ければミスは増える。
怒りの感情は人の目的をすり替える
怒りの感情に流されると、往々にして目的がすり替わってしまう事が何よりも問題。
「目的:子どもにボタンを留められるようになって欲しい」
↓
「ストレス発散」
↓
「最終目的:こんなに頑張っている私自身がかわいそうでしょ!あなたのせいよ!(を認めさせたい)」
に目的がいつの間にかすり替わってくる。
秘書に対して
「目的:ミスしないように指導している」
↓
「ストレス発散」
↓
「最終目的:豊田真友子様がお前のせいで迷惑している(ことを知らしめたい!)」
になる(苦笑)
人を萎縮させても、物事は絶対に改善しない。
特に子どもは気持ちよく育たない。萎縮させるのではなく、伝えることを意識していたいと思うのです。
さいごに
親だって人間。疲れていたり、気持ちに余裕がない時はイライラすることもある。
ついつい感情を子どもにぶつけてしまう事だってある。
この話を妻としていた時、「そのことに対していかに自覚的であるか」がまずは大切なんじゃないかという話しになりました。
怒りの感情に流されてしまって、後悔した時は、それを反省して次に臨めばいい。
そんな自分を受け入れればいい。
自覚的であれば、感情のコントロールはできるようになるものです。
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