禁煙運動から感じる「社会から何かを排他するプロセス」

禁煙運動から感じる「社会から何かを排他するプロセス」

社会はいま、分煙化じゃなくて禁煙化に向かっていると感じます。
この禁煙化への動きが、社会から何かを排除する時の流れと言うか、そういうものを眺めているような気持ちになります。

きょうの家族言

先日、妻からもらった夜のひとりフリータイム。
子どもが生まれてから夜にフリーで好きなことができる時間なんて、 ほとんどなかった(予定を事前に入れれば遊んだり、仕事したり、飲みに行ったりはしていましたが)のでワクワクしていました。
でも、仕事が終わってひとりになってみると、やりたい事もない。
スーパー銭湯でも行こうかと思っていたけど、ちょっと面倒くさい。

じゃぁせめて、食事くらい、と思ってステーキを食べる。(最高に美味しかった!)
で、カフェで本でも読んで帰ろうかと思ったけど、
「いま帰れば、娘さんに会えるな〜」
とか思ったら、ホームシックになりソッコーで家路につく。

家が好きなのはいいけど、いいのか、これで?

「余計なもの」を暮らしに持ち込まなくてよかった

何かと話題(?)の受動喫煙防止の厚労省原案。
最近では当たり前のように、「禁煙」「分煙」の社会になりました。
僕も6〜7年前までは1日1箱くらいは吸う、喫煙者でした。

大した理由もなかったのですが、結婚前に突然禁煙。
それまでも何度か試みては失敗していたのですが、この時はわりとスムーズに禁煙に成功してしまいました。

その時はまだ、こんなに社会的に禁煙運動が盛んになるとは思っていなかったので、振り返ってみると禁煙できていてよかったと思います。

いまじゃ、どのお店でも「禁煙」が当たり前。
ちょっとコーヒー飲みたいと思っても、当時は禁煙のカフェには入れませんでした(コーヒーとタバコはセットじゃないとダメだったんです苦笑)

禁煙して健康になったとか、食事が美味しくなったとかは特に実感ありませんが、子どもが生まれてみると「余計なもの(←ニオイとか、一服のたびに肩身の狭い思いをするとか)を抱え込まなくてよかった」と思います。

喫煙は悪なのか!?

とは言え、いまの「絶対禁煙!!!」と言う流れはすごいなぁと思います。
特に飲食店内での禁煙。
争点だったのは、小さなスナックとかバーなどまで禁煙規制をかけると客離れするということ。

どこもかしこも禁煙になるんだったら、「禁煙が元で客離れする」という飲食店側の主張が本当に正しいかはわからないけど。
そこの裁量はお店側に委ねる、ではダメだったんでしょうか。
(ちなみに、30平方メートル以下の小規模な酒類提供の店は規制対象外)

これだけ分煙、禁煙がすでに広まっているのだから非喫煙者が「喫煙可だけど、どうしてもあそこでご飯が食べたい!だからお店を禁煙にしてもらわないと困る!」ということもないんじゃないかなと思います。

そういった意味ではタクシーの全面禁煙は顧客側に選択の余地が少ないので(しかも喫煙車内って吸わない人にとっては結構耐え難いくらい臭い)良いことだなと。

規制するほど、マナーは悪くなる?

規制がどんどん進んでも、そう簡単に禁煙はできません。(これは喫煙者にしかわからない)
でも吸える場所がなくなっていく。
「ちょっと一服」と思っても5分、10分先じゃないと喫煙できる場所がない。もしくはどこにあるのかすらわからない。
そうすると、どこかの物陰でコッソリ吸ったり、夜間だったら堂々と歩きタバコをしていたり。

ゴミ箱が町からなくなると、ポイ捨てが増えるように。(増えるのか?)
喫煙できる場所が町からなくなると、どこかでコッソリ吸う人が増えそう。

さいごに

吸える場所がなくなることで、禁煙する人が増えればいいけど。
吸う人も、吸わない人も心地よく暮らせる街づくり。でいいんじゃないかと僕なんかは思ったりします。

いま巻き起こっている禁煙運動が、何かを排他する、その社会変容の過程を眺めているような気持ちになる時があるのです。
タバコは排除すべきで、〇〇はよくて、〇〇はダメでって。
一旦社会から「ダメ!」を突きつけられた時、どうやってその「ダメ」が排他されていくのか。

この現象が、タバコでとどまっているといいなと思います。

今日も素敵な家族日和を。

 

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