「ママのニーズに応える」=「ママ想いの素敵パパ」はとんだ勘違い!

パパに「家事は何のためにやりますか?」って聞くと「ママが少しでも楽になるため」と応える人はわりと多い。特にパパ講座に来るパパさんなんかは。
とても立派な解答ですが、僕はそう思ったことは(産後の時期以外)一度もありません(妻よスマン)。
じゃ、何のために家事をするのか?
Contents
きょうの家族言
※きょうの家族言は家族に関するひとり言みたいなものです。エントリとは関係ありません(*´ω`*)
ぶどうが大好きな娘さん。
房から一個いっこ取り外して「はい!どーぞー!」と僕や妻にくれます。
自分の分を取り外すと「いーーっぱい食べちゃうもんねー!」と大興奮。
そんな夕食の時間が、何よりも幸せだなー、って思います。
家事やってる人がいったい何に不満を抱くのか!?
「夫がいくら皿洗いしても、アラばっかりが目につく!」
「たまに洗濯物干したからってドヤ顔されてもムカつく!」
一時期流行った(?)家事ハラじゃなけど、そういった声は相変わらず多い。
いっぽう「せっかくやったのに、そんな風に言われるんだったらもうやりたくない」
「何をやってもブツブツ文句を言われる、ならもう手を出さない方がいいんだろうな」
と、思ってしまうのもよくわかる。
なんとなくママとパパって構図になりがちだけど、これって本当は「家事を主体的にしている人」と「家事を受動的にしている人」で抱えている不満の違いが原因。
相手のニーズに応えられていない不満
家事を受動的に行っている人(多くはパパ)は家事を「家の中で終わらせなくてはならない業務」として見られていません。
家事はあくまでも「相手(妻)のニーズに応えるため」にやっているケースが多い。
これ、パパはすごく勘違いしやすいんだけど「ママのニーズに応える」=「ママ想いの素敵パパ」とも限らないんです。
会社だったら「プロジェクト全体を把握しながら、業務を遂行するパートナー」なのか「上司の顔色と評価だけを気にして業務を遂行する部下」なのか、くらいの違いがあります。(もちろんママの顔色を伺っているパパは、上司の顔色を伺う部下と同じ(苦笑))
自分ばっかり!という不公平感が不満の元!
家事を主体的に行っている人(多くはママ)は「なぜ自分ばっかりが、あれもこれも考えて調整しなくちゃいけないんだ!」という不満を抱えがちです。
特に共働き家庭だと。
■自分ばっかりが抱える両立プレッシャー
■自分ばっかりが時間の捻出義務を背負う不公平感
■自分ばっかりが家庭にとらわれなくてはいけない不安
が大きい。
つまり「あなたも自覚を持って家事育児に取り組もうよ!」と言うのが本当のニーズ。
ママのニーズの勘違い
これはパパ・ママ共に誤解しやすい。
家庭運営を会社やプロジェクトに例えると、「家庭内でやるべきことを、家族がいかに協力し合いながら完遂させるか」が大切。
だから「わたしとやり方が違う」「わたしの思い通りに動いてくれた」はそんなに重要じゃないはず。
もちろん「妻がやって欲しいことを僕は全力でやります( ー`дー´)キリッ」だっておかしい。
それじゃ、いつまで経っても場当たり的な不満解消しかできない(もしくは完全な主従関係を築き上げるか!?)
家庭運営のパートナーってどういうことか
上でも述べたように「プロジェクト全体を把握しながら、業務を遂行するパートナー」にお互いがならないといけない。
その自覚や姿勢が前提としてあった上で、はじめて「やり方の違い」みたいな話しが活きてくるのです。
つまり「わたし(俺)のやり方」じゃなくて「どうしたら効率的に終わらせられるか」「どうしたら家族みんなが心地よく過ごせるか」「どうしたらこの危機的状況を最小限の力で乗り切れるか」みたいな話しがようやくできるようになる。
家事のやり方なんてのは、(プロじゃないんだから)「家族が心地よく暮らせる」ためにできればいいじゃない。
さいごに
冒頭で述べた「ママが少しでも楽になるため」に家事をしたことはない。という話し。
妻が体調不良なら「妻の健康回復のため」とか妻がどうしても忙しそうだったら「妻にちょっと休んでもらえるため」とか、日々の中で「妻のため」を考えることはあります。
でも、それはお互い同じ。
僕は「妻はもちろん、自分も、娘も心地よく暮らせるため」に家事はします。
それでは、今日も素敵な家族日和を。
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