パパはイクメン疲れしてしまっているのか?
きょうの家族言
娘さんが歯磨きを嫌がります。
口の中のことだから、嫌がるとなかなか歯磨きできない。
ちょっと前までは嬉しそうに歯ブラシを口に入れてたのになぁ。
他にも、保育園ではごはんを残さず食べるのに、家だと遊んでて食べないとか。
爪を切るのをメッチャ嫌がるとか。
朝起きてからずーっと「アンパンマン!」って言ってるとか(笑)
娘さんの中に色んな価値観が芽生えはじめたみたいです。
そしてそれを自分の意志として表明できる。
今日、妻が娘さんに「お父さんは、娘ちゃんの36倍も生きてるんだぞ!」
と言っていました。
でも、娘が2歳になればその差は18倍。
3歳になれば、13倍位。
どんどん、差は縮まってきます。
これが娘さんの成長スピードを表しているようだと思いました。
パパはイクメン疲れしてしまっているのか?
父親たちも我慢の限界! 「仕事」「家事・育児」「大黒柱」を一人でこなすのはムリ… | citrus(シトラス)
と言う記事が話題になっています。
大前提として、母親はすでに我慢の限界を超えている。
そして父親だってそろそろ限界が近いんだぜって内容です。
この家庭の問題。家事や育児シェアの問題。
どう考えても男性の場合は「働き過ぎ」という課題から離れることができない。
家庭を顧みないで働き続けるんだって男性はそれでいいかもしれない。
だけど結婚をして家族を持った時、その家族と家族であるためにどう接するかを考えることは、
家族をもった人の責任でもある。
「働き方を変えられない」
「仕事を変えられない」
「毎晩帰りは遅いけど、いまの仕事は好き」
どんな理由があるにせよ、「働き過ぎ」という状況が何かしらの形で改善されないかぎり、
24時間の中で家族と共に過ごせる時間の捻出はむつかしい。
それを何とかしようと、頑張れば頑張るほど、パパの疲れや我慢は限界に近づいてくる。
結局、融通をきかせやすい家庭の方がおざなりになっていく。
右にも左にも行けない状態。
パパもいま、そんな状態に追い込まれているのかもしれません。
イクメンであるべきってのはプレッシャーなのか?
実際にイクメンと呼ばれるようなパパが、どの位いるかはさて置き。
イクメンであるべきと言うプレッシャーって本当に感じるものなんでしょうか。
これについては、ぼくは「プレッシャー」ではないんじゃないかと思っています。
「そうありたい」と言う思いを持っているパパはたくさん知っている。
「俺には関係ない」ってパパもいるし、「(本当はそうでもないのに)俺はイクメンだ!」って信じきってるパパもいる。
だけど「イクメンであらねばならぬ!」ってプレッシャーを感じている人って知らない。
ママは「家事育児も仕事もしなきゃ」って「プレッシャー」を感じている人はたくさんいる。
この違いってなんなんだろう。
イクメンってオプションなのかい?
実際に家事育児をはじめとする家のことを自分も担うのが当たり前、
と思ってやっているパパにとってはイクメンって言葉は仰々しくて嫌みたいです。
そういうパパは仕事が忙しすぎて、家庭の事を妻に任せっきりになってしまうと申し訳無さを感じる。
自分が「家の事、何もできてないんじゃないか」って思いにかられてしまいます。
もうすでに、充分イクメンである、そんなパパだけがはじめてプレッシャーを感じる。
プレッシャーを感じるかどうかはどれだけ家事育児、そして仕事などに責任感を持っているか、が関係しているようです。
イクメンって言葉がまるで自分の価値を高めてくれるオプションみたいに感じている人は、
プレッシャーを感じることはないんだと思います。
子育て世代夫婦の溢れだした水を受け止めるのは社会の役割
父親たちも我慢の限界の記事の中で、最後に触れられているのがこれ。
パパがイクメンかどうかにかかわらず、夫婦の時間も気持ちの余裕もコップいっぱいに溢れそうな水状態。
「家族の問題は家族の責任でどうにかしろ」という主張は記事にもある通り、ちょっとむつかしいんじゃないかと思います。
だからこそ、その溢れた水を受け止められるのは社会。
国、自治体はもちろんこれからは企業も、家族について考えていかなくてはならない。
パパもママも、誰もが安心して子育てができる社会にする。
そのためにできる役割を「家族」という視点からも社会が担っていかなくてはいけないと、改めて感じます。
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