どういう子であって欲しいか、どういう親でありたいか。

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最近はよく子育てについて夫婦で話すことが増えました。

まだ生まれていないからなのか、実際の子育て経験がないからなのかはわからないけど、
どういう子であって欲しいか、よりもどういう親でありたいか、の方がわが家にとっては大事なことのようです。

先日も、「夫婦が2人で一緒に幸せになろう!」みたいなのって何となく共感しきれないんだよなぁという話しをしました。
後「相手の幸せのために自分を犠牲にする」みたいなのも違うよなぁと。
それよりは「各々がどれだけ幸せであれるか」の方が大切な気がする。
どうせ、各々の幸せの中に家族の幸せも含まれるんだから、それくらいでいいんじゃないかと思うのです。

もしも「俺の幸せは妻の幸せとは一切関係ない」という気持ちになったとしたら、もう一緒に暮らさないほうがいいよなぁと思うんです。
うん、書いていて思ったんだけど結婚をするかどうかの感情の境目はそこだったかもしれない。

自分の全てを犠牲にしても彼女を幸せに!とは思わなかったし(スンマセン)、彼女がいればとにかく俺が幸せ!ってわけでもなかった。
彼女となら一緒に各々の幸せを追求できそうだ、と思ったからなんだろうな。

そこで「どういう親でありたいか」だけど。
自分達が子どもにとってカッコイイ大人であれば、親としては及第点じゃないかと思ったりする。
ワガママだけど、子どものために自分の全てを我慢したり諦めたりするのってちょっと違う気がしてるんです。
もちろん、そうしなくちゃいけないシーンはたくさんあるんだろうけど、1個1個の事象と人生の軸を揺らがすことは違う気が。

つらい思いをしないことよりも、怪我をしないことよりも、喧嘩をしないことよりも。
そうした時に起ち上がれる未来を見せてあげることの方が、よっぽど大切だろうと思うんです。
そして、それって口で説明するよりも、自分達の生き方を素直に見せることなんじゃないかと。

まぁ、どうせ過保護に心配してしまうことはわかってるし、転べばアタフタするだろうし、学校で喧嘩すりゃ面倒に思うだろうし、
万引きで捕まればブチ切れるだろうし。

だからこそ、適度に距離を置いておかないとなって、いまは思うわけです。

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